REPORT

2020.12.25 つくり手と話すvol.1 | 陶作家 深田涼さん

色に魅せられて、
動きだした作家人生。

LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2018の愛知県代表であり、2019年にはミラノデザインウィークでの展示や、名鉄大曽根駅に併設する商業施設の陶壁「時の樹」を手がけている深田涼さん。今回は、彼女が作りだす鮮やかな陶磁器の魅力、そして彼女の作家活動についてお話を伺いました。

社会人で飛び込んだ
陶芸の世界。

陶芸との出会いを教えてください。
今では焼き物を仕事にしていますが、実は20歳を過ぎるまで陶芸をしたことがなくて。瀬戸出身なのに、陶芸の知識は「せともの祭」くらいでした。でもある日、陶芸に興味がある友達と一緒に、私の父と顔見知りだった陶芸家さんの工房で陶芸体験をしたんです。そこでろくろを回すのが楽しくなってしまって。それが陶芸を始めたきっかけですね。今思えば、陶芸教室ではなく本格的な工房で体験できたのが良かったと思っていて。時間やルールに縛られず、下手でも思い描くままに作るのが楽しくて陶芸にハマりました。2年ほど趣味で陶芸教室に通ううちに、陶芸教室の先生になりたくなって、思い切って会社を辞めて、瀬戸窯業高校の専攻科に入学しました。この頃は、まさか作家になるなんて思ってもいませんでしたね。
学校ではどんなことを学ぶのですか。
授業は、切立湯呑(きったちゆのみ)を同じサイズで20個作ることから始まります。これは入学間もない頃の課題で、まだ土も練れなかった私は、とてもびっくりしましたね。湯呑ができたら次はお皿。午前の授業はお皿づくり、午後は湯呑への絵付といったように、湯呑が作れないと次の授業に進めませんでした。これが美大ならもっと感性を磨くのかと思うのですが、卒業後に作家や職人として独立できるように育てる学校なので、ひたすら技術を身体に叩き込んでもらいました。だからろくろの技術は嫌でも上がりましたね。
卒業後は陶芸教室の先生になられたのでしょうか。
それが思っていたようにはならなくて。2年目のときに、ものづくりの楽しさに目覚めてしまって、教えるより作りたいと思ったんです。だから卒業後は、平日は法律事務所で働きつつ、休日に個展を開催したり、レストランの依頼を受けてお皿を作っていました。ちょうどその頃に、名古屋の繁華街にあるバーで「夜の陶芸教室」というイベントも主催しました。夜の9時から朝の5時までガッツリ陶芸をするイベントで、新聞にも載ったんです。

独立、そして瀬戸で作家に。

充実した日々を過ごしながらも、独立を決めたきっかけは何だったのでしょうか。
きっかけは法律事務所で働いて3年目のとき。休日と仕事終わりの時間で陶芸活動ができていたのと法律の仕事がおもしろかったので、「正社員になってこのまま働きたい」と上司に伝えたところ、逆に上司から考えさせてほしいと言われてしまって。実は私、入社面接で経歴よりも陶芸のことばかり話したんです。それでも上司が私を採用してくれたのは、私が独立するまで自分の事務所で預かろうってことだったみたいで。上司も若くして独立した経歴があったので、私が将来に悩む気持ちがわかったのかもしれません。「残ってくれるのは嬉しいけど、本当に何がしたいかよく考えてほしい」と言ってくれたんです。その言葉もあって、陶芸の道に進もうと決心できました。
瀬戸で陶作家として独立されたわけですが、深田さんは瀬戸焼や瀬戸という町についてどうお考えでしょうか。
あくまで私の考えですが、日本には六つの有名な窯元「六古窯※」をはじめ、多くの窯元があります。その中での瀬戸の特色は「なんでもある」ことだと思っていて。例えば信楽や伊賀なら土物、備前は薪の窯、伊万里なら絵付けといった特長がありますが、瀬戸は青い絵で有名な染付や、織部や志野、そして電信柱の碍子(ガイシ)※の日本有数の生産地でもあります。さらに伝統工芸士の作家もいて、工業的な面から伝統的な価値まで揃っています。すごいですよね。私が瀬戸で活動して感じるのは、瀬戸ほどブランディングしにくい町はないということ。でもだからこそ、若手が自由に始めやすいし、町の人も寛大に受け入れてくれる土壌があると思います。

大切なのは、
感性より技術とデータ。

深田さんが手がける作品について教えてください。
プレート、お抹茶茶碗、酒器、アクセサリーの4種類を中心に作っています。焼き物は陶器(※「土もの」と言われる土が主原料のもの)と磁器(※「石もの」と言われる陶石、いわゆる岩石が主原料になるもの)の2種類があります。陶器は土が粗いほどボソボソした質感になり、磁器は高温で焼成することで成分を溶かすため、なめらかな質感になります。私の使う土は半磁器という磁器に近い土。この土をろくろを使って成形して、茶碗や酒器、マグカップなどを作ります。プレートは磁器土をもとに型で作るので、型をつくる型屋さんや、型にドロドロにした磁器土を流し込む生地職人さんと一緒に作っています。
作品づくりにおいて、特にこだわっていることはなんですか。
一番のこだわりは「色」ですね。多彩な色を表現するためには、釉薬※の研究が欠かせません。釉薬とは灰、金属、砂、石などを粉末状に混ぜ合わせたもので、この配合によって様々な質感や色を表現します。これは個人的な考えですが、陶芸は感性の前に技術がなければ始まらない世界です。そして化学やデータの世界でもあります。特に釉薬はゼーゲル式と言われる式で、原料の成分のmol※をもとに計算して、質感や色、発色の強さなどを決めます。ただし同じ分量にすれば同じ色になるわけではなくて、窯の温度、温度の上げ方、冷却時間、粘土の種類などの様々な条件によって変わります。つくづく陶芸は、感性の前に技術や知識が大きく影響すると感じます。でもそんな思い通りにならないところもハマってしまう理由のひとつなんです。

心を映しだす色を
つくりたい。

どんなときに、やりがいや達成感を感じますか。
やりがいというか嬉しいのは、自分の心や記憶を映しだすような色が出たとき。よく予想の斜め上をいく色が出ます。それがそのときの気持ちや自分の記憶に重なる色だと嬉しくなります。昔は、その変化に振り回されていましたが、その色が出た条件や理由を、ある程度分かるようになってからは楽しくなりました。どうしても理由がわからないときは、釉薬や粘土の原料屋さんへ聞きに行ったりもしますね。
深田さんにとって印象的な作品はありますか。
印象に残っているのは学生時代に、自信をなくして学校を辞めたいと悩んでいた頃の作品。偶然、ピンク色が出たんです。その色がすごく綺麗で、なんだか応援してくれているような気持ちになり、自分の心境を分かってくれたような気がして、もう少し頑張ってみようと思えました。それと同時に、釉薬の魅力に気づきました。その作品は今も家に飾ってあります。今ならピンク色が出た理由を化学的に説明できますが、当時の私にはその偶然が、嬉しかったんだと思います。

すべては窯のおかげ。

陶作家としての大切にしていることはありますか。
私はどんなに技術を上げても自然の力には敵わないと思っています。というのも、7割は窯が作ってくれると思っているから。特に釉薬は見えない窯の中で変化するので、窯に頼る部分が大きくて。だから私にできるのは、いい色が出やすい条件を全力で調べることです。陶芸はやればやるほど調子に乗れないですね。私が作っているのではなく、私と窯で一緒に作っている、そんな感覚で取り組んでいます。
これからの展望があれば教えてください。
先のことはあまり考えない性格でして…。いろんな場所に行ったり、いろんなおいしい料理を食べたり、いろんな作家さんと話したり。そしていろんな釉薬や土、石の研究をして、自分を見つめながら成長していきたいと思います。
本日はありがとうございました。

取材・文|ツグモノ コピーライター 久米 智也

  • ※六古窯|中世から原罪まで生産が続く代表的な6つの窯のこと。常滑、信楽、越前、備前、丹波、瀬戸が含まれる。平成29年に「日本遺産」に認定された。
  • ※碍子|一般的には電信柱などに取り付けて、電線と支柱を絶縁する器具。やきものの電気を通しにくい性質や屋外でも劣化しにくい性質を生かして作られている。
  • ※釉薬|陶磁器の表面を覆うガラス質の部分。水分や汚れが染み込むのを防ぐほか、色や模様の装飾、質感を決める重要な要素である。
  • ※mol数|物質量を表す単位。

深田 涼/Fukada Ryo

瀬戸市出身。2010年瀬戸窯業高等学校専攻科陶芸コース卒業。2015年独立。自身でデザイン・制作・販売を行う『Vivid Earthen』を開業。2018年LEXUS NEW TAKUMI PROJECT愛知代表。

Instagram ryo_clay

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